3-2. ネット時代における人間関係

人間関係にはいろいろなものがある。 家族のような何十年もつきあいもあれば、学校や職場だけの付き合いもある。 また、ペンパルと呼ばれている、手紙のお付き合いもある。
人の集合体である社会の中で生きていく限り、絶えず誰かとの出会い、そして繰り返すものなのである。それは大昔からあることであり、これからも続くであろう。
しかし、時代が変わるなかで常に変わっていくことがある。それは出会う方法と、コミュニケーションの取り方である。
人と人との出会いはフェイス・トゥ・フェイスというのが自明の理であったがメディアの進化により最近は更に変化してきた。特に、インターネットは新聞のようなマスメディア的な要素と、電話のような双方向通信が可能であり、情報を伝えるだけでなく親しいもの同士の気持ちの伝達を可能にし、人々は多くのコミュニケーションの手段をとることができ、それに伴って人間関係も多様化したのである。
しかし、ここで注目したいのは、多様化するのに反して、人との結び付きは弱くなっていることである。
例えば仲の良い友達、恋人同士が携帯電話で四六時中相手を束縛し合っている。いつも「想われている」「想っている」と感じていなければ不安なのだ。多額のお金を使ってまで、相手に伝えたいことは何か。それは「情報」ではなく「こころ」なのである。不安な気持ちを抑えようと短いメッセージを送る。つまり、インターネットは人間の心の隙間にもうまく入り込んでしまっている。
今の若者の間では、このような安心を感じられる人々が仲間であり、友人である。
以前、ある大学で、中学生に対して「友達は何人いるか」というアンケート調査を行ったところ、最も多い20数%の生徒が、「100人以上」と回答されていたそうである。100人と言う数はすごく多い数だが、よく話を聞くと単にメル友やプリクラのやりとりをしただけでも友達にカウントされている。
つまり、お互いを良く知る友達が少なくなっているが、暇な時にすぐ連絡が取れる友達は増えてきていると言う事である。
この背景には、一人で生きる孤独感を癒すため、人の心を求めて近づきあうが、逆に他人からの支配や拘束を嫌い、「独立」を維持すべく互いの距離を保とうとする人間の心理がある。
この相反する二面性を満たすのに都合の良いのがメル友やプリクラ仲間である。
必要なときは相手と関わりを持つことができ、必要でなければ簡単に切る事ができる。
いわば、何かに「ゆるやかな形でつながっていたい」という欲求が非常に強い。
これらの状況を精神科医の香山リカ氏は以下のように述べている。
『心理学の世界で「見捨てられ不安」と言うが、今の若者は、「見捨てられたくない」「一人で居られない」という気持ちが強く、また「スプリッティング」と呼ばれている、「自分は何でも一番だ」という自己愛的な万能感と、「自分は世の中のクズで、全ての人から嫌われている」といった極端に低い自己評価の2つに感情が大きく分かれ、中間の「自分はまあまあな人間だ」という感情を持てない現象が進んでいる背景がある。』
もともと、ポケットベルや携帯電話、そしてインターネットは、そもそもビジネス用に登場したわけであり、若者が今のような使い方をする事など開発当時は想定していなかった。だが、インターネットは、こう言った心の未熟さや、自己評価の低いところをうまく隠し、そうなりたい自分を振る舞う事が出来、まずい状況になったら切ってしまえるなど、とても都合が良い性質を持ったメディアであったといえる。
